この頃は,先日の演武会で披露した演武をどうしようかと思案していたのだが,それで演武について色々考えた.演武披露と言ってもほぼ内輪的な演武会だから気軽なものなのだが,それでも人前で演武すると思うと格好良くキレの良い演武をしたい.
そこで,見ていてすっきり歯切れが良く,いかにも使えそうな技に見えるにはどうしたものか悩みながら,拳法に限らず空手、その他いろいろな武道の演武を,ネットの動画で見ていった.其れで,自分なりに見ていて良いなと思った演武に共通して言えることは,技が速く見える,力が入らず柔らかく見える.軽く,切れそうな感じ,ということである.
上記は多分,同じことを別の側面から感じていると言うことだと思うが,これがどうすれば実現できるかというと,やはり昔から言う基本中の基本
1.無駄な力みが無い,脱力した体の運用
2.効率的で無駄をそぎ落とした体動
3.遅速緩急強弱がはっきりしていること
この3点につきる.矢張り,そこなのだと思う.これらは,以前から松井先生から教えて頂いていることであるし,最近始めた居合でも,御師匠様が日々言われることである.
しかし,これが難しい.
勿論,其れは当たり前で,型武道ではこれをどこまでも徹底して追求するのであるから,それだけ奥が深いものと言える.
まず,速い,と言うことへの誤解がある.筋力を使って物理的に速く動けば速く見えるかと言うと決してそうではない.そもそも人間が視覚でシグナルを認識してから動作するまでの速さは200ミリ秒より速くはならないのだから,相手の動作がそれより速いと対応できない.すなわち物理的な速度はそこまで必要ではないのだ.だとすれば,何を持って速く感じるかというと一つは比較だ.
運動状態を比較して大きな変化があれば良い.例えば,静の状態から,一気に最大加速に達するような動きは速く見える.物理的に高速に達していても徐々に加速していくような動きは鈍く見える.これは人間が比較によって知覚しているということに起因する.遅速緩急を言うのも,この錯覚効果を狙っている.
もう一つは,準備動作を隠すことだ.相手が本動作に入ってから反応しようとしても、人間は知覚速度が遅いので対処が間に合わない.そこで,予備動作や準備動作から次の動きを推測して対応することで知覚速度の遅れを補っている.ということは,準備動作を極力小さくして,観察者から其れを隠せば、観察者は動作の起こりを予測することが出来ず動作の認識が遅れることになる.従って、速く見えるはずだ.この”準備動作”を兎に角小さくしてしまうと言うのが実戦的にも重要であると言うことだ.
以上の2点を実現しようとするならば,まず,無駄な動作を極限までそぎ落とした最小限の効率的な動きを追求すべしと言うことになる.さらに,筋肉の余計な緊張は物理的な速度を遅くするし,余計な動作を増やすことにも繋がるので,脱力が非常に重要になる.前者は,技の理合いを考え,合理的な動きを追求することで実現できるはずである.そして後者は兎に角,経験値を上げることであろう.技に必要な運動を,小脳の処理するパターン的な運動へ落とし込んでいくことで,考えなくても動くところまで持って行く必要がある.そのためには刷り込みのような反復練習が必要なはずだ.最後に,力を入れずとも力を出せるようにしなくてはいけない.良く力を抜けと言うが,物理的に力が足りなければ,結局相手に作用を伝達できないのは当たり前である.これは,力むなと言うことであって,力を入れなくても十分な力を出せるように肉体を鍛えることは”前提”なのだと思う.拳法にも,金剛の肉体を鍛え,と言う教えがある.この部分は最重要では無いが,この<肉体のパワー>という下支えを軽視しては,使える拳法にはならないだろうと思う.
以上,言うはやすし,行うは難し.分かっているつもりではあるが,なかなか難しい,故に武道の修行の奥深さがある...