折角習った形を運用するためには間合いの確認や,打ち込んだ感触を観ずることは大切だが,これは流石に真剣を使う訳にはいかない.そこで,例えばスポーツチャンバラのソフト刀を使うと間合に関してのみは確認できそうだと考え,私同様少林寺拳法を修している息子を相手に斬合いをやってみた.すると,色々面白いことが実感できた.
矢張り,私の場合刀の間合いは両手斬りで拳法の逆蹴とほぼ同じ距離,片手斬りでは一足長分遠いところに届くのが実感できた.また,大体刀を抜いた後では拳法の乱捕りを拡張した感覚で動けそうなことも分かった.
さて,正座の前の場合,我が抜打の一太刀目で届くのが約1.5 mくらいで,これは丁度居合の形の想定と一致していた.相手と正対して1.5 mの距離があって相手が自分とほぼ同じ背丈の場合,50-30cm余裕があるから相手はこの間合いを詰めないと我を斬れぬ.お互い坐っていて,相手が居合を知らずに刀を抜いて我を襲撃する場合,上記のように半歩の距離を詰めねばならない.相手が立ち上がって振りかぶり,半歩詰める間に我は抜打ちと同時に片足を出してこの間を詰めることができるので,同時に動作を開始したとしても一瞬早く相手を斬れることになる.すなわち,刀を前に送り,抜き付ける瞬間は相手の準備動作より半呼吸速いので,斬れる.互いに座しているときの想定, 1.5 mの間合は絶妙である.ただ,一刀目で斬り付けて,相手が仰け反ったら,二刀目は両手斬り故にさらに間合が近くならないと行けなくなる.従って二刀目で歩を進める動作が無い無双直伝英信流の場合,一刀目で相手は悶絶し,二刀目はそのまま動いていない相手を真っ向断じてとどめるという想定にならざるを得ないと思う.もしくは,訓練のための形であると考えるべきか.夢想神伝流では,二刀目の前に半歩分歩を進めるので,理合いとしてはこちらの方が自然かも知れない.
相手が先に立つ後の先の間では,半呼吸の先が無いので抜き付けが間に合わず,両者の刀がほぼ同時にかち合うようになる.そこで無理に切り結ばずに抜刀から受けに行く.相手が準備動作を終えたときにこちらの準備動作が始まるくらいの間になるとすると,相手が半歩出て,こちらはそのままの位置(同じ腹面の距離)で受ける格好になるから,同じ背格好で同じ長さの刀ならば,丁度間合いがあう.
このあたりが半歩出て斬る制空権1.5 mの限界になるだろう.
立って居る場合は双方の機動力はさらに高い.それで,立位では,お互い刀を納めたところからならば,1.5 mから少なくとも半歩遠い2m程度,相手がすでに抜いているならば,我は前に柄を送った状態でもさらに半歩遠い2.5 mの距離が無くては間に合わないだろう.チャンバラをやってみた感じでは,横一文字で無く切上げながら抜き付ける場合や受け流しに行く場合はもう若干近く,2 mから1.5 mの距離ですでに抜刀した相手にでも対応できそうだった.そう言う意味では立位での局面では,全日本居合道連盟刀法にある神道無念流の切上げが有効に感じた.
お互い刀を抜き放った後ならば,のど元に切っ先を突きつけて牽制することでお互い距離がとれる.やってみるとこれが大体,刀が届く間合いの1.2 mより10 cmくらい遠い1.3 mくらいで落ち着く感じだった.そしてこの間合いをとるというのが,抜かずでは大変難しい事を実感した.怖くなければ相手は入ってくる.これは当然である.相手の抜刀が間に合わないと踏めばいくらでも前に出られる.従って,互いに刀を抜いていない状態から始める場合は,立ち会う瞬間の間合いと間の取り方,相手への威圧がその後の全てを決すると言える.
結局のところ,居合は口伝に言うように,矢張り出会い頭,鞘のうちが勝負であることを実感した.時代劇で,すでに抜刀した相手に対峙した抜刀術の使い手が,わざわざ抜いた刀を納めて抜刀した相手に向き合う場面が偶にあるが,あれはあり得ない局面と感じた.相手が抜刀済みでそこから対峙するならば,すでに後れをとっている.この場合は,まず2.5m程度の距離をとって正対しないとならないが,正々堂々とした試合ででも無い限り,すでに刀を抜いた相手がそんな悠長に待ってくれるとは思えない.
互いに2 mより近い位置にいて双方刀を抜いていないならば,そのときは抜くよりも素手による先制攻撃の方がずっと速いであろう.即ち,私ならば2m以内の距離に居る相手が柄に手を掛けたら,相手が抜刀するより速く拳法の逆蹴を喰らわすことに賭けるだろう.2 mより遠い位置で互いに刀を抜いていないならば,抜刀術により先制して勝ちに行く.
相手が抜刀済みで2 mから1.5 mの距離であったら,抜きながら受け流すことを選択するだろう.それより近い位置で相手が抜刀済みであれば,一か八か地を転がって距離をとるくらいしか手はないだろう.
スポーツチャンバラの刀は軽いので刀そのままでは無いが,少なくとも間合いについてだけはこれで遊んでみるとよくよく実感できるから楽しい.
いずれにせよ,居合は鞘のうちが勝負とは,良く言ったものだと思う.